狂のごとし
 警察につかまりそうなんです。診断書、書いてください。深刻な顔で関口一番、突然そんなことを言い出した患者がいた。

“どうしたのですか"
“子供の虐待で児相(児童相談所) がきたのです"

 子供の虐待事件が後をたたず、この間も市から虐待と思われるケースがあれば連絡するように通知があったばかりである。
 話を聞くとイライラして子供にあたっていたら、どうやら近所より通報されたらしい。生理の前になると、イライラが強くなり、よく5歳と3歳の子供にどなりちらして、最近はしだいにエスカレートしていたらしい。PMS(月経前症候群)といえるだろうが、後で考えるとどうしてあんなことぐらいでどなってしまったのだろうと思えるらしい。
 取りあえず、生理の前の症状であることを確認して、治療してみなければいけない。この場合、初診で診断書は書けないだろう。児相の人がきたらこちらで説明することにした。
 PMSといえば生理の前になるとご主人の会社に5分お きに電話してご主人が会社を解雇されたという話もある。生理の前になるときまって旦那とバトルになって“お前はおかしい"と精神科に連れていかれたという人もいた。生理の前になると万引きの常習ということもある。PMSは悲喜こもごもというよりは悲劇的なことが多い。
 漢方の2000年以上前の古い文献にもそのことについてのくだりがある。“熱膀胱ニ結ビ、其ノ人狂ノ如シ。血自ラ下ル。下ル者ハ愈ユ。"膀胱あたりに熱があり、狂ったような言動をする。血が流れれば治る。という意味だろうが、これは桃核承気湯という漢方薬の症状であるという。
 この漢方薬、実際にイライラを主症状とするPMSには著効を示すことが多い。西洋薬でいけば精神安定剤や向精神薬を用いることになるであろうが、ほんとの精神病でない人に用いるのはためらわれるし、効果があまり認められない場合もある。“狂の如し"という言葉であるが、これはほんとの狂ではないらしい、本当の狂は通導散という漢方薬を用いるとなっている。両方とも(やまいだれに於)血と便秘に対する薬であるが、(やまいだれに於)血という概念は難しい。停滞した血が症状を引き起こすということであるが、その血が熱と湿を帯びると心まで犯して、感情の制御が困難になるという。
 桃核承気湯や通導散を用いても狂ったような症状が治まらない時はどうするのであろうか。これに対しても古い文献には処方が記載されている。きわめて古くて滞った血には大黄しゃ蟲丸や抵当丸、抵当湯などを用いるとあるが、これには動物性生薬が使用されている。しゃちゅうというのはゴキブリのことである。生薬というのは薬草だけではないのである。
 用いられている動物性生薬というのはゴキブリのほか蛭、虻、蠍などであり、忌み嫌われる動物類である。なぜこのようなものが、効果があるのか?また使用した2000年以上前の人々はどうしてこの効果を知ったのかつ興味は尽きないが、忌み嫌われるような動物性生薬を加えてまで(やまいだれに於)血を揺り動かさねばならないような女性特有の病態とはどんなものであろうか?

(ある日のDr,Qの診察室日記より)  ※これはフィクションです。
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